テレフォンカードを手に公衆電話へ。思い出すのは阪神淡路大震災。

公衆電話

現在携帯電話を修理に出しているので、携帯が使えません。でも、ほとんどの人とはSNSでつながっているので特に問題なし。携帯番号しか知らない地元の人たちは、家を知っているので急用であれば家に来ることでしょう。

そんな中、今日は取材先に電話をしなければならず、公衆電話がある場所に出向きました。

テレフォンカードの使い方知ってる?

若い人たちは、テレフォンカードの存在や公衆電話の使い方を知らないかもしれませんね。昔は東京ディズニーランドのお土産にも、キャラクターが描かれたテレフォンカードがありました。私の地元伊丹では、成人式の日の写真をテレフォンカードにしてプレゼントしてくれたことも。アイドル写真のテレフォンカードや、観光地のテレフォンカード、商品広告のテレフォンカードなど、いろいろな種類のテレフォンカードが存在し、それらを集めるコレクターもいたほどです。

公衆電話は小銭を入れて電話をかけることができますが、100円玉を入れて50円分の通話をしたとしても、お釣は出てきません。その点テレフォンカードだと、通話した分だけ度数が減っていくし、小銭がなくても使えるので便利。500円で50度数、1000円で105度数分の通話をすることができます。

今ではほとんど使う機会がなくなりましたが、私の財布には使いかけのテレフォンカードが入っています。圏外や充電切れで携帯が使えないとき、使うことがあるかもしれないと思って入れているのです。

何十年ぶりだろう。テレフォンカードを手に公衆電話の前に立ちました。そこで思い出されたのは、25年前の今日という日です。

阪神淡路大震災から25年

あれは震災当日だったのか、少し経って公衆電話が使えるようになってからだったのか、その辺はよく覚えていません。

伊丹のわが家も相当揺れました。物が散乱し、ガラスも割れていたので土足のまま家の中を歩いていました。ありがたいことに、家族5人+犬もみんな無事。家で寝泊まり可能な状態でした。

どこで何が起こっているのかよく判らないまま、とにかく無事であることを田舎の祖父母に伝えるために、私は近所の公衆電話へと並びに行きました。あのときはテレフォンカードじゃなくて、小銭だったのかなぁ?

そこで会った友達に聞いたところによると、阪急伊丹駅が潰れ、階下にあった警察署のお巡りさんが亡くなったとのこと。

現場を見に行きたい衝動に駆られましたが、当然母親に止められました。

当時のことを書きだすと止まらないので、やめておきます・苦笑

震災に遭った一人ひとりにとって、そして遠くから見守ってくれた人たちにとって、忘れることのできない想いが今日という日にあると思います。

当時は渦中にいたので、報道などをじっくり見た覚えはありません。一つ覚えているのは、テレビをつけたときに映った神戸の映像。町が燃えていました。新聞の報道では、毎日死者の数が増えていきました。

こうして当時の様子を動画や写真で観ていると、「よく立ち直ったな、神戸」と思います。神戸ルミナリエが点灯したときの感動とか、いろいろ思い出しちゃいます。

がんばろう神戸。

がんばろう南房総。

ふだん使うことがなくても、備えとしてこれからもテレフォンカードを持ち続けようと思います。

公衆電話

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